[100] 約30年…(つづき)2007/07/30 00:15:08

約30年前の乗車券類

まずは、御礼!

えーっ、このバカ2しいブログも、ついに100回目を迎えました。まぁ、読者(極めて内輪に限られていると思われますが…)から寄せられるコメントが励みであります。本当に読んでいただき、ありがとうございます。今後も、何の役にもたたない内容だと思いますが、無理せずに続けて行こうかなぁ…と思っております。引き続き、ご支援・ご愛読いただければと思います。よろしく、お願いいたします

前回に続き…

約30年前にタイム・スリップしてみましょう。保存してあった、当時の乗車券を取り出してきてみました。

以下、それぞれの番号に対応して説明を加えましょう。

  1. 昭和49年ということは、1974年。33年近く前です。「国鉄線」という文字がかすれていますが、自動販売機のキップです。当時の国鉄初乗り運賃が30円。小児は半額で10円未満切捨てなので、なんと10円ということがわかります。
  2. こちらは小田原から山手線内で440円(ちなみに現在は1,450円)。昭和50年(1975年)という文字が見える硬券(厚手の硬い、手売りのキップ)です。小児が使う時には、右側の斜線の部分でハサミで切っていました。
  3. 同じく、昭和50年の硬券です。ちょっと千円台の数字が見にくくなってしまいましたが、学割を使って往復乗車券で1,540円。右半分は往路で使って切り取られているのがわかります。
  4. こちらは、地元の東急線の自動販売機の初乗りキップ。日付が見にくいですが、やはり昭和50年です。
  5. 今は「東京メトロ」になってしまいましたが「帝都高速度交通営団」という懐かしい文字が見える昭和50年(1976年)3月の自動販売機のキップです。たぶん、初乗り60円だったのでしょう。
  6. こちらは、未使用の「国鉄線乗車票」(硬券)です。普通のキップではなく、ストライキで列車が運行されない日が続くと、定期券乗客に対し、乗れなかった日数分の往復乗車票を渡していました。逆に有効期間の延長という方法は(何故か知る由もありませんが)取られなかったのです。
  7. やはり営団地下鉄の自動販売機によるキップですが、昭和52年(1977年)12月には初乗り運賃が80円に値上げされていたことがうかがえます。
  8. 昭和53年(1978年)の市ヶ谷駅からの国鉄線の硬券です。当時は、もうほとんど自動販売機になっていたはずで、何故硬券があったのか不思議なくらい。初乗りが60円に値上げされていたことがうかがえます
  9. 昭和51年(1976年)の東急から国鉄への連絡定期券です。行き先や有効年月日、経由や発効日がスタンプで押されていて、運賃も駅員さんが運賃表を調べて算盤で計算し、手書き(3ヶ月で4,970円)です。駅の控えとなる右側部分と切り離す位置が、有効期間によってズレているのがわかります。駅員さんが大きなハサミで切り離してました。右側部分には、前出のストライキの際の乗車票を発行済みというスタンプが押されています。
  10. 同じ区間ですが、ほぼ1年後の昭和52年(1977年)の定期券です。ちょうど30年前ですね。一部、自動改札が導入された駅が先行していたのを除き、この頃から広く定期券の発行が機械化され、人手でスタンプを押したり、運賃を計算したり、ハサミで切り離すという作業が無くなり、機械に入力するようになったことがうかがえます。運賃も1年の間に6,510円と3割も値上げされていますね(ちなみに、同じ条件で現在の運賃は18,350円)。右側には、同じようにストライキの乗車票を発行済みのスタンプが見えます。

当時は…

[035] 103系健在でも書きましたが、春になると春闘で賃上げと共に、当時は3公社でストライキができなかった国鉄職員は、「ストライキ権をよこせ」とストライキを繰り返していた時代です。今、「国鉄線乗車票」を見ると、懐かしい…。この週末も、よせばいいのにビーチフットの試合に臨み、何もいいところを出せず、やはり単なるオジサンにとって30年前は遠い昔なのでした… このブログの初回は2年2ヶ月前。26ヶ月で100回ということは、ほぼ週1ですね…無理せず、オジサンのできる範囲で続けていきたいと思います…

内容は基本的にそのまま、一部表現、写真の掲載方法を微修正しました。[2012年04月24日]