[035] 103系健在 ― 2006/03/30 11:24:28
やっぱり103系です!
思い出深い103系電車が2006年3月17日をもって、JR東日本から引退したとのこと。いや、なんと言っても、やっぱり103系!です。訳わからん…。
もっとオタクな話を知りたければ、こちらをクリックして欲しいですが、1970年代に中学・高校と6年間、ほぼ毎日山手線に乗っていた私にとって、103系電車は青春でした。
ともかく、山手線の目黒から池袋までは、まさに黄金ルート。恵比寿、渋谷、原宿、代々木、新宿、新大久保、高田馬場、目白と完璧なカバーです。もちろん、6年間に降りたことの無い駅はありません。そういえば、時々、秋葉原も定期で降りてました。もう、時効だからいいでしょう? 当時の乗り越し運賃で50円。改札のオジサンとの勝負です。50円玉を手に握りしめ、定期券を堂々と見せながら改札を通過します。改札のオジサンの眼を注視し「(定期を)見られた!」と思ったら、すかさず「代々木から」と言って50円玉を置いて通る。一度だけ見つかって怒られました。「なんで、堂々と通るんだ!」って? 「だって、ビクビクしてたら、(その態度だけで)バレるでしょ?」などとは答えず、ひたすら謝って許してもらいました。昔の学生ならば、(きっと)誰にでも経験のある話。今じゃ自動改札で、こんな経験することもないですね……。少し寂しい気がします。
冷房化、ATC化
当時は、山手線に試作冷房車が入り、やがてATC準備車へと、移りゆく時代でした。少し色褪せた旧型の103系が、塗色もあでやかな高運転台の新型車に次々と置き換わっていくのが楽しみでした。まだまだ、日本が高度成長の道を歩んでいた頃の話です。
「スト権スト」(なぜ、「ストライキ権をよこせ」と言って「ストライキ」をするのか不思議でしたが、学校がほぼ1週間休みになったので嬉しかった)や、「順法闘争」(やはり不思議な闘争戦術で、規程どおりに安全確認をしていると、とてもダイヤどおりの運行はできずに電車が遅れる…)など、今では懐かしい言葉が新聞を賑わせていた時代です。ある意味、労働者にも勢いがあった時代と言えるでしょう。
インドネシアで103系
インドネシア鉄道会社(PT・KAI)には、都営地下鉄6000系に続き、2004年には、103系もやってきました。
さらに、2005年には、こちらも我が青春の東急8000系も来ています。というわけで、日本では見られなくなった車両がインドネシアでは、まだまだ健在! しかし、ジャカルタでの移動は、いつも車。まだ、実際に乗ったことがないのが、残念でなりません…
そうそう、オタクついでに。 [026] 京浜島つばさ公園に載せたガルーダ・ジャンボは、本当はオーストラリアのカンタス航空の機体です。例年、メッカ巡礼の時期には、専用のチャーター便が運行されており、ガルーダが通常保有する機体だけでは足りないので、短期間借りているようです。
内容は基本的にそのまま、一部表現、写真の掲載方法を微修正しました。[2010年02月11日]コメント
_ ビール飲みオヤジ ― 2006/04/02 10:09:50
_ ガッチャン ― 2006/04/02 22:38:27
そうですねぇ、やっぱ「かぶりつき」からの眺めは、仕切りの窓の大きさや高さに左右されますな。地下鉄は、だいたいカーテン閉めてしまいますが、営団じゃない(人が日本にいない間に勝手に名前変えるなよ!)東京メトロ南北線は、見せてくれますね。もっとも、ATOだから運転手は何も操作しません。そのかわり、車内信号の変化と、ATOによる力行・制動の推移を楽しめます。フツー楽しまないか? いや、オタクだ。
_ Kono ― 2006/04/08 19:32:31
こちらの方は金、土と明日日曜日は桜が満開で半袖でも大丈夫な天気ですよ。
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オヤジが幼稚園の頃、101系は運転席と客室を仕切る窓が大きく運転席越しに前が見えたのですが、103系は窓が小さくなって位置が高くなって見ることができなくて悲しかったことを覚えています。
都営6000系は1968年に巣鴨-志村(後の高島平)が開通した時に早速乗りましたね。当時の志村駅はまだ団地造成開始直後で一面原っぱ。駅から荒川の土手までずっと見渡せました。