[015] 空港での別れ ― 2005/12/29 04:50:53
ジャカルタの空港
27日の夜、約4年近い滞在を終えて、同僚が帰国していきました。ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港第2ターミナルのEゲートの入り口には、毎晩のように、日本に帰る人々とそれを見送る人の別れの光景が展開されています…。
ジャカルタ日本人学校が休みに入ると、子供を連れた母親と、それを見送る父親のラッシュになります。休みの間だけ、日本に一時帰国する母子と、さすがに長くは休めない海外駐在の父親がしばし別れを惜しむ光景です。一見して日本の本社の重役風の出張者とわかる人を見送る現地駐在員は、荷物をアシストし、ペコペコと頭を下げています。年老いた両親が、働き盛りの駐在世代を訪問して、日本に戻っていく姿も見受けらます。
見送りのポリシー
「空港には見送りに行かない」というポリシーを持った同僚がいます。曰く、「今生の別れでもあるまいし、また、いつでも会える」というのが理屈です。冷たい奴と思っていたら、実は、本当は涙もろくて、すぐに泣いてしまうので、空港の別れに顔を見せるのがイヤなだけらしい。私も、もともと涙もろいのですが、長期滞在していた同僚は、原則として空港に見送るポリシーです。最近、昼間の帰国や出張中で見送れないこともあって残念ですが、なんとなく「見送る」という行為がいくばくかの海外駐在を全うして戻っていく同僚へのエールのように感じているのです。
別れの涙
27日は、印象に残る光景に出くわしました。母親らしき女性は、友人とおぼしき数名の同年代の女性と笑顔で別れを惜しんでいます。そこから少し離れて、高校生くらいの男のコが、同年代の女のコの二人連れと笑顔で語りあっていました。やがて、男のコは二人連れの女のコの一人と抱き合い、そして、ゲートへと去る時がやってきました。女のコは、大声で泣き叫ぶことはなく、そっと手で涙を拭い、やがて友人の女のコの肩に顔をうずめたのです。金属探査をくぐり、イミグレへと進む彼をやっとの思いで手を振り見送った彼女は、また友人の肩で涙を拭っています。それを見ていた自分も、何故か涙が溢れ、そっと手で拭って、何食わぬ顔で同僚を見送りました。
去っていく人は、新しい土地での新しい生活が待っています。捨て難い思い出を大切に持ち帰りながら、新しく始まる次の生活への期待や希望が別れの悲しさを紛らわしてくれます。一方で、残される側は、帰る人へ言葉を贈りながら、明日から始まる、愛しい、親しい人のいない生活を受け容れていかなくてはなりません。Cleared for Takeoff. ………たくさんの人の様々な思いを載せていく飛行機はたくさんの思いも残して離陸していきます…
内容は基本的にそのまま、一部表現を微修正しました。[2010年02月11日]
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