[125] 秋葉原…2008/07/06 23:52:08

あの、許せない事件から4週間…

全く理由にならないことで7人もの命が奪われ、10人もの方が傷を負った、あの事件から4週間が経ち、事件後初めて秋葉原を訪れました。献花台には、多くの花や飲み物、お菓子等が供えられ、手をあわせていく人も多く見かけられました。突然、家族や友人を奪われた人々の悲しみが尽きることはないのでしょう…。

それにしても、献花台の周囲には、まだまだTVカメラを持った取材陣がいました。家庭用のハンディなビデオを持って撮影している人もいて、私の前にお菓子を供えていった女性や、手をあわせていた学生さんたちにインタビューしようとしていました(どちらも断っていたようでしたが…)。私も、TVに流して欲しくないし、素性もわからぬ人のビデオにも納まりたくなかったので、お茶を供え、献花台から少し離れ、工事中のフェンスの際から静かに手をあわせ、祈ってきました。

参考:
朝日新聞特集
読売新聞特集
日経新聞特集

あの日は、たまたま…、秋葉原の…、あの場所に…、行っていなかっただけ…、かもしれないのです。

多くの人を育ててくれた街

秋葉原に最初に行ったのは、小学校の高学年の頃だったでしょうか? 鉄道模型のコントローラーを(今でこそ市販されていますが)実際の運転台のように作るという自作記事を雑誌で見つけて、部品を買いに行ったのです。総武線の高架下の部品屋さんを巡り、訳のわからない中、夢中になっていたのが思い出されます。結局、そのコントローラーは途中で挫折したけれど、そんな経験は、きっと無駄ではなかったはず(と、思いたい)です。その後は、中学・高校と電車で通っていたので、よく学校帰りに訪れたものです。店頭に並べられたパソコン(当時はマイコンと呼ばれていましたねぇ…)をいじったり、ジャンク・ショップの店員と話をしたり…。

時代は移り、店の様子や街の雰囲気までもが、あの頃とは随分と変わってしまいました。でも、何かに夢中になっている「(いい意味の)オタクの集まる街であって欲しい」という気持ちは、どこかにあります。多くの人が、いわば、この街に育てられたと言ってもいいと思います。

改めて…

当日、心配してメールをくれた方、ありがとうございました。そして…、 犠牲になられた方の御冥福と、負傷された方の一日も早い回復をお祈りいたします。