[200] ブーゲンビル訪問2012/04/09 23:11:31

写真上:橋の引渡、開通式の模様、写真下:山本元帥ご終焉の地にて祈る

内戦のあった土地への訪問

休暇帰国からPNGに戻った翌日の3月19日から22日までの4日間、ブーゲンビル(Bougainville)島を訪問してきました。書き出せばキリがないのですが、1975年のPNG独立後、パングナ(Panguna)という鉱山からの収益が地元に十分に還元されていないという不満などから、ブーゲンビル島を中心とした北ソロモン(North Solomon)州(実際に、隣国であるソロモン諸島のすぐ北にあります)の(PNGからの)独立運動が内戦に発展したようです。和平協定が成立し、ブーゲンビル自治政府(Autonomous Bougainville Government:ABG)による統治となっていますが、今でもブーゲンビル島の南側は治安が不安定で、外務省の渡航情報でも「渡航の是非を検討」ブーゲンビルの状況の概略も記載されていますとなっており、私たちも通常は立ち入りません。

今回、無償資金協力による15の橋の完成・引渡式(写真上)に出席のため、ブーゲンビル島を訪問したのですが、ABG大統領の招きもあって、島の南側のブイン(Buin)にまで足を延ばすことが出来ました。ブーゲンビル島の空港は内戦で破壊され、北側のブカ(Buka)島から、かつての州都であったアラワ(Arawa)まで約3時間(この間の道路に15の橋が出来ました。それまでは、川の中を渡っていく状態だったので、大雨で増水するとランクルといえども通行できなくなっていました)、さらに約3時間かけてブインに到着です。アラワから先は警察の護衛車両も真剣な様子で、銃を構えて周囲を警戒していました。途中、わずかに舗装されている部分もありあすが、ほとんどは未舗装。乗っているだけでも大変です。

太平洋戦争の激戦地

ブインから車で30分ほどのところに、山本五十六元帥ご終焉の地がありました。いまなお、戦闘機の残骸があり、祈りを捧げてきました(写真下)。ブーゲンビル島では、他にも戦闘機、戦車、壕などが残っていて、慰霊碑も何箇所かに建立されていました。それにしても、私たちは、ソロモン(ガダルカナル)や、ブーゲンビル、ラバウルなどで、何が起こっていたのか知らなすぎます。こちらに赴任してきたからには、その歴史から目をそらすことは出来ません。今となっては、もう分からないこともあるのかもしれません。今回、訪問した山本元帥の最期についても諸説あるようですが、現地では(墜落した時点ではご存命で)ここで亡くなられた、と場所を示されました。それでも、次の世代へと伝えていくのは我々の役目だと思います。

ブログ200号

2005年5月、インドネシア滞在時からスタートさせた、このブログも今回200号を迎えました。最近は、Facebookの方が手軽で、若干ブログの更新ペースが落ちてきました。また、PNGでは気軽に外に出て街の様子を伝えることもできず、あまりネタが無いのも一因です。

「ニューギニア戦記」という本を読んでいます。過去の歴史に触れつつあります。数十年前、自分の父親の世代には、PNGに戦争に来ていたわけです。日本の家族・友人を思って、この地で命を終えていった先人の無念に思いをはせ、そして、また、今回の訪問を通じて、現地の人の気持ち、考え、期待など、複雑な思いも感じることが出来ました。

今、こうしてPNGに来て、戦争ではなく国と国や人々の間の友好、共存、平和に少しでも貢献できているのならば、それはわずか数十年前には考えられなかった幸せなことなのだと思います。これからもブログは続けていくつもりです。引き続き、よろしくお願いいたします…