[017] 新年のご挨拶2006/01/01 03:14:39

Season's Greetings

インドネシアでも、先ほど日本から遅れること2時間で、新年を迎えました。以前、[004] 時差についてで書きましたが約1日かけて地球を「新年、おめでとう」が一周している最中です。日本では、年賀状が配達され、ゆっくり目を通すところでしょう。

こちらでは、12月中旬頃から、(クリスマス)カードが交換されます。最近は、キリスト教以外の宗教へも配慮したカードが目立つようになり、「Season's Greetings」、「Best Wishes for the Holiday Season and New Year」なんて記載があります。インドネシアはイスラムが人口の90%を占めるから、「Merry Christmas」なんて表現はないのかというと大違い クリスマスは日本でいう国民の祝日だし、街にも「Selamat Natal」(インドネシア語でMerry Christmasの意味)という看板が溢れています。

日本語の「新年、おめでとう」

「Merry Christmas」を「クリスマス・おめでとう」と訳しているのを聞いて、非常に違和感を覚えました。個人的には「ステキなクリスマスを(お迎えください)!」が、しっくり来ます。そういう意味で、英語でいう「A Happy New Year」も、やはり「ステキな(幸せな、よい)1年(をお迎えください/でありますように)」という感覚で、日本語の「新年、おめでとう」とか「明けまして、おめでとう」とは少し意味が違っていると思っています。

もともと、日本では数え年で年齢をカウントしていて、正月、新年を迎えると一斉に皆が歳をとりました。だから、正月を一家揃って健康に元気で迎えることは、何よりも「おめでたい」ことであり、残念なことに、家族や親戚を亡くした人にとっては、新年は「めでたくない」ので、この挨拶をしないようになったのではないか?と思っています。

もちろん、喪中であれば慶事を祝わないのは共通の概念のように思えますが、「新年を迎えて、めでたくはない」けれども、新しい年に希望や期待を寄せることは、何もいけないことではないように思います。いや、むしろ、昨年、不幸や辛いこと、イヤなことがあったのであれば、一つの区切りとして、新しい年を迎えるにあたって、ポジティブに考えてはいけないのでしょうか?

小さい頃は、なんとなく遅くまで起きていられるだけで嬉しかった覚えがあります。高校生くらいになって、お年玉とも縁がなくなり、おせち料理にも飽きてくると、「新年って言ったって、何も変わらないじゃん」と、妙に醒めてきます。やがて、友人同士で初日の出を見に行ったり、女のコとテーマ・パークの新年カウント・ダウンに行ったりと、それなりに楽しい20代の頃を過ごします。そして、今は、タダでさえ季節の変化が日本に比べ乏しいインドネシアで生活していて、「ある意味の区切り」として、新しい年を迎えているように思います。まぁ、寒くない正月はこれで7回目だが、やはり季節感に欠けますが…

というわけで、新年のご挨拶

2005年は、津波(正確に言えば2004年の出来事であるが)で幕を開けました。気づいたら、メダンのホテルのトイレで新年を迎えていました。私の同僚は、メダン空港で届かない荷物にクレームをつけていたら新年になってしまったなんて話もあります。昨日もスラウェシでテロがあったと報道されていました。

やはり、ここは、この新しい2006年がテロや自然災害もなく平和な良い年であって欲しいという気持ちを込めて、全ての人に「A Happy New Year」「Selamat Tahun Baru」というメッセージを贈りたいと思います。2006年がいい年でありますように…

内容は基本的にそのまま、一部表現を微修正しました。[2010年02月11日]

作成当初は「UNIT-辻」という名前で書き込んでいました(by ガッチャン)