[019] 英語的発想2006/01/09 01:00:28

出張お願いね!

先週の金曜日(6日)の夕方、急遽、土日のスラバヤ方面への出張を現地スタッフにお願いする必要が出てきました。とりあえず、彼を別室に呼び出し、もう一人の同僚と出張をお願いします。

実は、後から気づいたのですが、話している言葉、言語としては一応英語なのに論理展開が全くの日本語なのでした。

周囲から埋めていく日本語

まず、私が彼に始めた説明は、今、どういう状況が起こっているか、日本人スタッフもそのために一人が急遽、出張すること、向こうで何が必要なのか、などなど。要するに周辺状況から話しだしてしまったのでした。これは、「土日の出張、しかも重要な宗教行事を来週早々に控え、またその直後にも出張が予定されている彼に出張をお願いするのは申し訳ない」という罪悪感も要因の一つでしょうが、やはり、日本語の論理展開・構造がそうなっているような気がします。

まず中心のポイントを突く英語

一方で、英語的な発想、論理展開は違うと思います。やっぱり、あの状況で、私はまず、最初に「今晩、すぐにスラバヤに出張に行ってもらえるか?」と聞くべきなのでしょう。当然、相手からは、「何故、何をしに?」「いつまで?」「誰と?」と質問が返ってくるはずです。そして、その質問に、一つ一つ丁寧に答えていけばいいだけなのです。ところが、まず、その状況説明から始めていって、肝心な結論、一番お願いしたいポイントは最後に温存してしまったのです。

そういえば…

住所の書き方も、日本では、都道府県から市区町村、番地という具合に、広いところから徐々に絞り込んでいくのに対し、英語では、番地からストリート、地区、都市と全く逆です。名前の姓・名の順番も、この発想なのでしょうか? なんでも、外堀から埋めていき、周辺状況から以心伝心で(明言しなくても、こちらの言いたい結論を)掴んでもらおうというアプローチの日本語。一方で、英語は単刀直入、結論先行であり、状況説明は後からついてきます。

会社の肩書きや所属も、日本語では会社から、事業部(局)、部、課、係と狭めていくのに対し、英語では、やはり逆です。それだけ、個人意識が強いのでしょうか? 実は、日本人の組織への帰属意識とか、終身雇用といったテーマにも繋がるのかもしれません。

違う言語を話すためには…

TOEICのインタビュー・テストを受けたとき、一番戸惑ったのは、何かを答えるたびに、「why?」「Why?」と聞かれたことです。もう15年以上も前なので記憶は定かではないのですが、こんな調子だったはずです。
Q:ゆうべ、何をしましたか?
A:TVを見ました。
Q:何故ですか?
A:好きな音楽をやってたからです。
Q:何故、その音楽は好きなのですか?
A:(何故?って、好きだから好きなんだけど…)歌詞が好きなんです。
Q:何故、その歌詞が好きなんですか?
A:(好きな歌詞なんだもん、理由なんて…)「×××」という詩に感動したんです。
Q:何故、その歌詞に感動したんですか?永久に続きそう…

聞かれている質問に、直接結論を答えられず、うまくいかなかったことも何度もあります。例えば、「好きか?嫌いか?」と聞かれているのに、一生懸命、アレコレと(自分が好きな)理由を説明しているのです。相手は痺れを切らし、「聞いているのは、そういうことではない。あなたが、○○を好きか、嫌いかだ」とまで言われても、なかなか、結論を先に言えません。相手は「コイツ、俺の質問の意味を理解していないな?」と思い、ミス・コミュニケーションの始まりです。

実は、「言語としては話して」いても、「そのウラの思考過程・論理展開」が違っているのです。結論はオブラートに包むようにして直接言及せずに、周辺状況から説明することで表現を和らげてアプローチする文化?は、大事でしょうが、当然、相手によっては通じません。

違う言語でコミュニケーションを図るためには、単にその言葉で話せるというだけでは不十分であり、その思考過程や論理展開まで変えないといけないのかもしれません。来週、インドネシア人の彼は、あの論理展開をどう思ったか聞いてみたいものです…

内容は基本的にそのまま、一部表現を微修正しました。[2010年02月11日]

作成当初は「UNIT-辻」という名前で書き込んでいました(by ガッチャン)