[036] スラバヤ通りの妹へ2006/04/08 09:27:26

上:スラバヤ通りと背後の高層アパートメント、下:スラバヤ通りと路上で骨董品を修理?する人々

水の中のASIAへ

1981年5月に発売されたYumingのアルバム「水の中のASIAへ」の1曲目に収録されている「スラバヤ通りの妹へ」が今回のテーマです。「水の中のASIAへ」は4曲入りながら、30cmサイズのレコードで、ジャケット写真もアジアの雰囲気が漂うもの。他の曲もアジアン・テイストに溢れていますが、やはりインドネシアに滞在しているなら「スラバヤ通りの妹へ」でしょう。もう25年も前の曲なんですね。今、聴いても、ちっとも古い曲という印象がありません。

[021] 土日は何をしてるんですか?[026] 京浜島つばさ公園に登場した高校の後輩の女のコが「この曲、スキなのよね」と言っていたのを思い出します。よく、Yumingやサザンを聞きながら、ドライブしたもんだ。あの頃、「スラバヤ通りに連れてってあげるよ」と言ったら、運命変わってたかもしれません、ってな訳ないですね。

やっぱり、ジャカルタでしょう?

実は、88年の8月、この「スラバヤ通り」に立ち寄りたいだけで、インドネシアを訪れようとしたことがあります。結局、時間が取れずに断念したのですが、もし、あの時、インドネシアに来ていたら、もちろんインドネシア語はできないし…。何よりも、実は「スラバヤ通り」ではなく「スラバヤ市」に行こうと思っていたのでした。

Yuming関係のWebでも、この「スラバヤ通り」については、ジャワ島東部のインドネシア第2の都市「スラバヤ市」と解釈しているサイトがありますが、スラバヤ市に長期滞在した友人に聞いても「スラバヤ市」の「スラバヤ通り」は記憶が無いらしい。やっぱりジャカルタの「Jl.Surabaya」でしょう。

今のスラバヤ通り

今のスラバヤ通りはというと、観光ガイドブックにも「骨董品通り」と紹介されています。日本の古銭、陶磁器、時計、カメラ、航海用のコンパス、木彫りの民芸品など、おおよそ価値があるのかガラクタなのか、素人にはわからない品々を売る店が軒並み続いています。

もちろん、Yumingの歌詞に出てくるように「土埃り(をあげて)馬車がゆく」風景など、いまや望めるはずもなく、車やバイク、3輪のバジャイなどが排気ガスを撒き散らしながら通り過ぎてゆきます。それでも、写真にあるように背後には高層アパートが立ち並ぶスラバヤ通りも、一歩、裏に踏み込めば、汚いドブ側を挟んで人々の生活が見えてきます。

変わりゆく街並み

最初にジャカルタに来てから、もう11年半。この間、通貨危機による停滞はありましたが、車やバイクは確実に増え、巨大ショッピング・モールがあちこちに立ち上がり(もっとも、中のテナントは、どこも一緒)、街は活気に溢れ、どんどんと変わっていっています。歌詞のとおり、「新しいビルに消されていく」のを感じる日々です。できれば、馬車がゆきかっていた時代のスラバヤ通りを訪れてみたかったものです…

内容は基本的にそのまま、一部表現、写真の掲載方法を微修正しました。[2010年02月11日]